ゴールデンウィークの半ばくらいになると、ニュースでメーデーが取り上げられます。
「今日はメーデーで、全国各地で集会が開かれました」といった感じです。
毎年、日本労働組合総連合会(連合)、全国労働組合総連合(全労連)、全国労働組合連絡協議会(全労協)といった労働組合が、それぞれメーデーの集会を開催しています。
しかしながら、このメーデーとは、どんな日なのでしょうか?
そして、起源や意味はどういったものなのでしょうか?
今回の記事では、メーデーについての起源や意味などを、あれこれ見ていきたいと思います。
メーデーとは「五月祭」だった

メーデーとは、5月1日に世界中で行われる「労働者の日」のことです。
ですが、元々のメーデーは、ヨーロッパ各地で5月1日に行われていた「五月祭」を意味しました。
五月祭とは、古代ローマ帝国の時代から続いていた、豊穣の女神マイアを祭る祭典です。
この日は夏の訪れを祝う日でもあり、英語で「May Day(5月の日)」と呼ばれていました。
時代が進み18世紀後半になると、メーデーの意味が少し変わります。
この時代はイギリスから産業革命が始まり、労使関係に変化が現れた時期でした。
技術革新が進んだ結果、労働者も雇用者に対し、権利を主張するようになったのです。
その結果、労働条件などを巡って、労使双方が激しく対立するようになりました。
そのような状況のもと、「五月祭が行われていた5月1日くらいは休戦しようじゃないか」という呼び掛けがなされます。
これに労使双方が合意し、5月1日を休戦のために祝日にしたという歴史的背景があるのです。
メーデーが「労働者の日」になった1886年
メーデーが現在のような「労働者の日」になったのは、1886年からといわれています。
この年の5月1日、シカゴにおいてアメリカ労働総同盟が大規模なゼネラルストライキを行いました。
5月1日が選ばれたのは、当時のアメリカ企業の多くが5月1日を会計年度の始めとしていたためです。
つまり、この日にストライキやデモを行えば、より効果を上げやすいと考えられました。
この時、ストライキに参加した労働者は、実に40万人といわれています。
そして、ストライキのスローガンは、「最初の8時間は仕事のために、次の8時間は休息のために、そして残りの8時間は俺たちの好きなことのために」というもの。
当時のアメリカは、1日14時間前後の長時間労働が当たり前でした。
そのような労働条件で働く労働者にとって、1日8時間労働の実現は悲願だったのです。
このアメリカのゼネラルストライキは、ヨーロッパ諸国にも伝わっていきました。
1889年、各国の労働者の代表と政党で構成される第2インターナショナルの代表400人が、フランスのパリに集まります。
そして、5月1日を「世界的に仕事をせず、労働者の権利を要求する日」と定めました。
その翌年の1890年5月1日に、ヨーロッパ諸国とアメリカで第1回国際メーデーが開催されたのです。
以後、メーデーは労働者の権利を主張する日として、世界各国に広がっていきました。
メーデーは時に暴動にも
メーデーではデモ行進が行われるのが通例ですが、時に暴動に発展してしまうこともあります。
記憶に新しいものといえば、2018年にフランスで発生した暴動事件でしょう。
2018年5月1日、フランス全土でメーデーのデモが行われました。
デモの参加者は、全体で15万人から20万人といわれています。
このうち、首都パリで開催されたデモで、参加者の一部が暴徒化し大規模な暴動に発展しました。
暴徒化したデモ隊は、店舗のガラスを割り、道路上の車両やマクドナルドに放火するなどしたのです。
これを鎮圧するために、警察は催涙ガスを使用したり、放水を行うなどの対応にあたりました。
そして、276人が逮捕されるという事態に至ったのです。
この暴動に対し、フランスのマクロン大統領は、「犯人を特定し、その行動の責任を取らせるため全てのことをする」と述べました。
日本におけるメーデー
日本におけるメーデーは、1905年に平民社という社会主義結社が開催したのが始まりになります。
もっとも、この時は集会やデモ行進ではなく、茶話会という形で開かれました。
翌年以降も、活動家や社会主義団体などにより、小規模な集会などが開催されます。
そして、1920年になると、初めて労働組合の主催によりメーデーの集会が開かれました。
1920年5月2日、大日本労働総同盟友愛会が、東京の上野公園で第1回メーデーを挙行します。
この時は約1万人の労働者が集結し、「8時間労働制の実施」「失業の防止」「最低賃金法の制定」などを訴えました。
第1回メーデーの後、翌年の第2回メーデーからは、開催日が5月1日へ変更されます。
そして、回を追うごとに、開催地や参加者も増えていきました。
しかし1936年の二・二六事件発生により、状況が変わります。
集会を開くことが制限され、メーデーの開催も禁止されてしまいました。
メーデーの戦後から現代まで
メーデーの集会が再開されたのは、第二次世界大戦後の1946年になります。
11年ぶりのメーデーは、1946年5月1日に全国各地で盛大に開催されました。
この時の参加者は、全国で約100万人にのぼったといわれています。
東京の皇居外苑広場には約50万人が集まり、集会が行われました。
この時のスローガンは、「働けるだけ食わせろ」といったもの。
当時は、第二次世界大戦直後の深刻な食糧不足の状況であり、「とにかく食べ物をくれ!」というのが要求の中心だったのです。
5月12日には、「米よこせ!」と叫ぶ市民が皇居外苑に入り込みます。
そして同19日には、25万人を集めた「食糧メーデー」が行われ、民主人民政府の設立が決議されたのです。
これ以後も、メーデーは労働条件の改善などを掲げ、毎年5月1日に開催されていきました。
しかしながら、「憲法9条改憲反対」や「原発反対」といった、労働条件とは関係のない主張を掲げているケースも多く見られます。
また、メーデーを主催する労働組合が複数存在することもあり、必ずしも足並みが揃っているとはいえない状況です。
近年では、平日の5月1日ではなく、4月下旬の土日に集会を開く団体もあり、開催期日もバラバラになってきています。
そもそも、現在では労働組合の組織率が2割を切っているのが現実です。
組合主体でメーデーを盛り上げていくのは、もう限界が来ているとも思えます。
メーデーは祝日にならないの?
メーデーは、国際連合などの国際機関で定められた国際デーです。
現在、少なくとも80ヵ国以上が5月1日を祝日に設定しています。
祝日としていない主な国は日本の他、イギリス、オランダ、スイス、デンマークなどです。
実は、日本でも5月1日を祝日にしようという動きがありました。
しかしながら、以下の2つの理由により祝日化には至っていません。
■金融市場への懸念
5月1日を祝日とした場合、4月30日と5月2日も「国民の休日」となります。
これは、「祝日と祝日の間の平日は休日にする」という祝日法の定めによるものです。
そうすると、ゴールデンウイークは最低でも7連休となります。
これが実現すれば非常に嬉しいと思う反面、逆に困ってしまう人もいるのです。
それは、金融関連の事業に従事する人達。
日本の金融機関が祝日で休んでいても、海外では金融市場が開いています。
これでは、不測の事態が生じた時に、即座の対応ができないという指摘があったのです。
5月1日の祝日化が実現できなかった背景には、こうした金融業界への配慮があったためといわれています。
■勤労感謝の日の存在
日本にはもともと「勤労感謝の日」という祝日があります。
この日は「勤労を尊び、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」ことを目的としています。
つまり、勤労感謝の日とメーデーの趣旨は、非常に似たものなのです。
そうすると、「改めてメーデーを祝日にする意味はあるのか?」という意見が出てきます。
メーデーを祝日化できなかった背景には、勤労感謝の日の存在もあるようですね。
今回の記事では、メーデーの起源や意味などを、あれこれと見てきました。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。