柏餅と粽を食べる意味や由来とは!?端午の節句の伝統行事食

5月5日は子どもにとって楽しい日ですよね。
そう、端午の節句(こどもの日)です。

その端午の節句に欠かせない食べ物といえば、柏餅(カシワモチ)粽(チマキ)でしょう。
「昔、端午の節句で食べたなぁ」という方も多いのではないでしょうか。

しかし、端午の節句に柏餅や粽を食べる意味って何なのでしょうか?
そして、柏餅や粽には、どんな由来があるのでしょうか?

今回の記事では、端午の節句の行事食、柏餅と粽について見ていきたいと思います。

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柏餅についてのエトセトラ


端午の節句には柏餅が欠かせない

柏餅は上新粉で作った餅で餡を包み、柏の葉で巻いた和菓子です。
名前の由来は外観そのままに、柏の葉で餅を巻くので柏餅になったとされています。

中の餡には、こし餡・つぶ餡といった小豆餡や味噌餡などが使われます。
近年では、餅を草餅にしたり、餡をチョコレートやクリームにした亜種も流通していますね。

なお、柏の葉が手に入りにくい地域では、サルトリイバラなどで代用されています。

柏餅の由来は?


柏餅は、江戸時代の日本で誕生したと言われています。

9代将軍徳川家重から10代将軍徳川家治の頃という説が有力です。
そして柏餅発祥の地となったのは、当時の武家社会の中心である江戸でした。

柏の葉が餅に巻かれるようになった由来は、柏が古来より神聖な木とされていたことに加え、子孫繁栄のシンボルとされていたためです。

普通の木の場合ですと、古い葉が落ちてから新芽が出てきます。
ですが、柏の木は、新芽が出るまで古い葉が落ちないという特性をもっているのです。

それが、「子どもが生まれるまで親は死なない」「跡継ぎが途絶えることはない」といったことに結びつきました。

武家にとって、家系が途絶えないことは大変に重要な事でした。
そのため柏の葉の縁起かつぎは、たちまち武家を中心に広がったのです。

こうして端午の節句には、子孫繁栄を願い、柏餅を食べる習慣ができました。
この習慣は、参勤交代の制度により、日本の各地に広まったと言われています。

ちなみに当時の柏餅には、甘い小豆餡ではなく、サッパリとした味噌餡や塩餡が使われることが多かったようです。

柏の葉は食べられる?


柏餅と似ている和菓子に、桜餅がありますよね。
桜餅は葉を取って食べても良いですが、葉を巻いたまま食べることもできます。

では、柏餅に巻かれている葉は、食べることができるのでしょうか?

結論から言ってしまうと、柏餅の葉は「食べない」ものとされています。
何故かというと柏餅の葉は、食べるための加工がされていないためです。

桜餅の葉は塩漬けにしてあり、柔らかく加工されているので食べることができます。
ですが、柏餅の葉はそういう処理を一切しないため、食べないものとされているのです。

食べても毒があるわけではないですが、葉の苦みと筋っぽさが、柏餅の美味しさを台無しにしてしまうでしょう。

なお、柏餅を柏の葉で巻く理由には、以下のようなものがあると言われています。

■餅に香りをつける

柏餅の特徴の1つに、あの気持ちの良い香りがあります。
柏の葉で餅を巻き、蒸しあげることで香りが餅に移るのです。

あの香りは、柏餅を美味しく食べるうえで、欠かせないものといえるでしょう。

■抗菌作用

柏の葉には、オイゲノールという成分が含まれています。
そして、オイゲノールには殺菌作用があるのです。

柏餅が誕生した時代には、もちろん冷蔵庫などありませんでした。
ですが、その時代の人々は、柏の葉に殺菌作用があることを発見し利用したのです。

■餅の乾燥を防ぐ

柏餅が誕生した江戸時代には、当然サランラップなどありませんでした。
そこで当時の人々は、さまざまな物を乾燥対策のために利用していたのです。

柏餅に巻かれた柏の葉も、そうしたラップの代用品の1つです。

■素手でも食べやすくする

もしも柏餅の餅がそのままだったら、素手で触ると手がベトベトになります。
そこを柏の葉で巻くことによって、気軽に手で持って食べられるようにしているのです。

特に柏餅は、端午の節句の行事食ですから、子どもが食べることが多いもの。
手を汚すことなく食べられる柏餅は、子どもに向いた和菓子だと言えますね。

柏の葉の表裏にも意味がある


柏餅をよく見ると、柏の葉の巻き方が2種類あるのがわかります。
柏の葉の表面を外側にするか、それとも裏面を外側にするかです。

実は、この2種類の巻き方の違いにも、きちんと意味があるんですよ。
葉の巻き方を見ることによって、中に入っている餡の種類がわかるんです。

柏餅の餡には、こし餡・つぶ餡といった小豆餡や味噌餡を使うのが一般的。

中身に小豆餡を使っている場合には、葉の裏面を外側にして巻きます。
そして、中身に味噌餡を使っている場合には、葉の表面を外側にして巻くのです。

次に柏餅を食べる時には、この「葉の巻き方」に注目してみるのも良いかもしれませんね。
柏の葉は、表面がサラサラで滑らかなのに対し、裏面がザラザラで繊維が目立つのですぐにわかります。

柏餅と千葉県柏市の関係は?


千葉県の北西部に、柏市という人口約43万人の中核市があります。
この柏市ですが、柏餅と何か関係があるのでしょうか?

「実は柏餅の生産量で、日本一の街です!」

「市の名産品は柏餅で、市内の至る所で販売されています!」


といった事実があれば良かったのですが、柏市と柏餅には何の関係もありません。
そもそも柏市の名前は、河岸場(かしば)に由来すると言われているんですね。

※河岸場・・・川や沼などの舟運の場所(船着き場)のこと

ただし、柏の葉をつける柏の木は、柏市の「市の木」に指定されています。

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粽についてのエトセトラ


端午の節句には粽を食べる地方も

粽とは、餅で作ったお菓子の一種です。

もち米・うるち米・米粉などで作った餅を、笹の葉・茅(チガヤ)の葉・真菰(マコモ)の葉などで巻き、イグサで縛ったものになります。

地域によっては餅の中に餡子を入れる場合もあるようですね。
粽の形は、三角形や円錐形に整えられているのが一般的です。

粽の名前はどこから?


粽を巻く葉には、笹の葉・茅の葉・真菰の葉などがあります。
このうち、茅の葉で巻いたところから、粽の名前が付けられたと言われています。

茅の葉で巻いたものが「チガヤマキ」と呼ばれるようになり、
それが短くなって「チマキ」になったというわけです。

粽の由来は?


粽の始まりは、今から2000年以上前の中国の古事に由来しています。

中国の楚の国に、屈原(くつげん)さんという人物がいました。
彼は詩人であるともに優秀な政治家であり、側近として国王に仕えていました。

この屈原さん、正義感と忠義心に溢れた人物で、国王の信頼も厚く、
また、人民からも大変に慕われていた人物だったようです。

しかし、人望の厚い人間は、時として反感を買ってしまうもの、
屈原さんは裏切りにあって失脚し、国外追放となってしまいました。

そして、この世に失望した屈原さんは、5月5日に川に身投げをしてしまうのです。

ですが、やはり屈原さんは、人民に慕われていた人物でした。
彼の死を嘆いた多くの人々が、命日の5月5日、供養のために供物を川に投げ入れたのです。

この時に川に投げ入れられたのは、もち米を竹筒に詰めたものだったと言われています。

しかし、この供物では川に住む悪い龍に食べられてしまい、屈原さんまで届かないと考えられました。
そこで人々は、龍が嫌うとされる楝樹(レンジュ)の葉でもち米を包み、邪気を祓うとされる赤・青・黄・白・黒の5色の糸で縛ってから川に投げ入れるようになったのです。

これが粽の始まりで、中国では5月5日に粽を作って食べるという風習が広まりました。

なお、もち米を包んだ楝樹の葉については、茅の葉や笹の葉であったとも伝えられています。

粽が日本に伝わって


粽は、平安時代に中国から日本に伝わったと言われています。
そして、その粽には、災いや病から身を守ってくれる力があると信じられたのです。

そのため日本でも、5月5日に粽に食べるという風習が広まっていきました。

なお、最近の粽は、イグサで結ばれたものがほとんどです。
ですが、もともと粽を結んだとされる5色の糸には、子どもが健康に育ってくれるようにという魔除けの意味も込められていました。

その糸の赤・青・黄・白・黒の5色は、現在では鯉のぼりの吹き流しに使われています。
あの吹き流しの色には、このような意味がこめられていたんですね。

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こどもの日は柏餅?それとも粽?


柏餅と粽は、どちらも端午の節句の縁起物として食べられています。
ですが、東日本では柏餅が、西日本では粽が食べられることが多いようです。

これは、柏餅は発祥が江戸であったことから関東を中心に広まったのに対し、
粽は伝来した当時の都が京都にあったため、関西を中心に広まったのが理由と考えられます。

もっとも、人の往来や情報の伝達が容易になった現代では、特に東日本・西日本の区別なく両方が食べられているケースも多いです。

今回の記事では、端午の節句に柏餅や粽を食べる意味や、その由来について見てきました。


今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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