カレンダーをよく見ると、「1月、2月・・・」の下に「睦月、如月・・・」といった呼称が書かれていることがありますね。
そして12月に入るとニュース番組で、「いよいよ師走に入り・・・」などと言われたりもします。
これらは日本独自の12カ月の呼称である「和風月名(わふうげつめい)」と言われるものなのです。
どうして日本では、数字の月名だけでなく独自の和風月名が使われているのでしょうか?
そして和風月名にはどのようなものがあり、それぞれの意味や由来は何なのでしょうか?
今回の記事では、和風月名の意味や由来、そして月名一覧を見ていきたいと思います。
和風月名とはこういうもの
和風月名の一覧
まずは、和風月名の一覧を示しておきます。
1月:睦月(むつき)
2月:如月(きさらぎ)
3月:弥生(やよい)
4月:卯月(うづき)
5月:皐月(さつき)
6月:水無月(みなづき)
7月:文月(ふみづき)
8月:葉月(はづき)
9月:長月(ながつき)
10月;神無月(かんなづき)
11月:霜月(しもつき)
12月:師走(しわす)
この中でよく知られているのは、やはり「師走」でしょうか?
和風月名はいつ生まれた?
和風月名がいつ頃から使われるようになったかは、はっきりしたことがわかっていません。
しかし、日本最古の歴史書といわれる「日本書紀」の文中に、和風月名が登場しています。
「日本書紀」は、奈良時代に成立した歴史書になります。
少なくとも奈良時代には、和風月名が使われていたといえるでしょう。
和風月名はなぜ生まれた?
古い時代、日本人の生活の中心となっていたのは農業でした。
農業をする上では、季節の変化をとらえ、生活の一部とする必要があります。
そこで独自の月の呼称である、和風月名が誕生したといわれています。
事実、和風月名の名称は、気候や時期の祭事などに関連したものが多いのです。
単に1月、2月・・・と呼ぶより、季節の変化を知るのに便利だったということでしょう。
和風月名の意味や由来は?
12の和風月名の、それぞれ月の意味や由来はどのようなものでしょうか?
ここからは12の和風月名について、詳しく見ていってみることにします。
1月|睦月(むつき)
1月といえば年の初めの正月で、家族や親類による団らんの月です。
家族や親類が集まり、仲睦まじく陸み合う「陸び月(むつびつき)」が変化し、「睦月」になったといわれています。
その他、1月は稲の実を初めて水に浸す月であり、それを「実月(むつき)」と呼んだことから、それが転じて「睦月」となったという説もあります。
そして、1月は新しい年の最初の月であるため、元になる月である「元月(もとつき)」であるということに由来する説もあります。
この「元月」が転じて「睦月」になったというわけです。
以上のように「睦月」の由来には諸説ありますが、「陸び月」の説が最も有名です。
2月|如月(きさらぎ)
「如月」の名前の由来としては、「衣更着」が転じて「如月」と呼ばれるようになったという説があります。
「衣更着」とは、衣(服)の上に、更に衣を着るということを意味します。
旧暦の2月は新暦で言うと3月半ばで、暖かくなりつつも、時に寒さがぶり返す時期です。
陽気が暖かくなってきて衣を脱いだと思ったら、また衣を着なければならなくなったという意味で「衣更着」といいます。
なお「衣更着」が「如月」に変わった由来としては、中国の古い辞書に「二月を如となす」という文があったからといわれます。
3月|弥生(やよい)
「弥生」の「弥」という字には、「いよいよ」とか「ますます」という意味があります。
そして「生」という字は、「生い茂る」といった意味があるのです。
旧暦の3月は、かなり気候も暖かくなり、草木が続々と生い茂る季節です。
このことから3月の月名は、「弥生」になったといわれています。
4月|卯月(うづき)
旧暦の4月は、空木(ウヅキ)の花である「卯の花」が咲く季節でありました。
このことから、4月は「卯月」と呼ばれるようになったという説が有力です。
ちなみに空木とは、アジサイ科ウヅキ属の落葉低木です。
真っ白な小さい花を多く咲かせるのが特徴になります。
また、「卯月」には、「卯の花」に由来するという説だけではなく、稲を植える月という意味の「植月(うづき)」や「苗植月(なうえづき)」から転じたという説もあります。
5月|皐月(さつき)
「皐月」は「早苗月(さなえづき)」が変化したものといわれています。
「早苗」とは稲の苗のことをいい、旧暦の5月は田植えの時期だったことに由来します。
また「皐月」の「皐」には、「神に捧げる稲」という意味があります。
これらのことから「皐月」は、稲作から由来した月名であるといえます。
その他にも、ツツジ科ツツジ属の植物である「サツキ」の花が咲く季節であったことから、「皐月」と呼ばれるようになったという説もあります。
6月|水無月(みなづき)
「水無月」は「無」という漢字を使っていますが、これは「無い」という意味ではありません。
ここでいう「無」は「~の」という助詞であり、「水無月」は「水の月」を意味しています。
旧暦の6月は、田植えが終わり、田んぼに水を引いてくる季節になります。
水田に水を入れる月ということで、「水無月」になったといわれています。
しかしながら、文字通りに、「水が無くなる」ということに由来するという説もあります。
旧暦の6月は梅雨が明けて気候が暑くなるため、田の水が枯れてしまうというわけです。
「水無月」についてはどちらの説も有名で、定説はありません。
7月|文月(ふみづき)
7月は稲穂が膨らんでくる時期であることから、「穂含月(ほふみづき)」と呼ばれていました。
その「穂含月」が変化し、「文月」となったという説があります。
その他にも、七夕の行事に由来しているという説もあります。
七夕の短冊に願いを書いて、笹に吊るす風習を「文被月(ふみひろげつき)」と呼んでいました。
その「文被月」が変化し、「文月」となったとうのがその説です。
このように「文月」についても様々な説があります。
8月|葉月(はづき)
旧暦の8月は秋であり、木の葉は紅葉し、落ち葉となる季節でした。
木々の葉が落ちることから、この月は「葉落ち月」と呼ばれていたのです。
その「葉落ち月」が縮まり、「葉月」になったといわれています。
9月|長月(ながつき)
旧暦の9月を新暦にすると、10月上旬から11月上旬にあたります。
この時期は秋分を過ぎ、夜がだんだんと長くなっていく季節です。
そのため「秋の夜長」という意味で、「夜長月(よながづき)」と呼ばれていました。
その「夜長月」が転じ、「長月」になったという説があります。
他にも、この時期に雨が多いことに由来する説もあります。
雨が多いことから「長雨月(ながさめづき)」と呼ばれたのです。
そしてこれが縮まり、「長月」になったという説です。
10月|神無月(かんなづき)
日本には八百万の神々として、全国各地に神様がいると考えられてきました。
しかし10月は、その神様たちが全員、出雲大社へ集まる日とも考えられたのです。
神様が留守になってしまうことから、「神なき月」として「神無月」になったといわれています。
ちなみに出雲大社のある島根県は、神様が留守になることはありません。
そこで島根県では「神無月」ではなく、「神在月(かみありつき)」と呼ばれます。
11月|霜月(しもつき)
気候はすっかりと寒くなり、朝は霜が降りる季節です。
霜が降りることから、「霜降月(しもふりづき)」と呼ばれていました。
その「霜降月」が転じ、「霜月」と呼ばれるようになったといわれています。
12月|師走(しわす)
ここで言う「師」とは「僧侶」のことを意味します。
12月は師を家に迎え入れ、お経を読んでもらうという月とされていました。
そうすると師は、あちこちの家に馳せ参じなければならず、目の回る忙しさになります。
つまり、「師が馳せる月」という意味で、「師馳す」と呼ばれていたわけです。
この「師馳す」が転じ、「馳す」に「走」という字があてられ、「師走」になったといわれています。
旧暦と新暦によるズレ
現在の和風月名は、少し実際の季節とズレがあるように感じます。
これは、今と昔では、日本で使われている暦に違いがあることが原因です。
もともと日本は、暦に太陰暦(旧暦)を使っていました。
それが明治6年に、太陽暦(新暦)に改められたという経緯があります。
※太陰暦と太陽暦の関係についてはこちらの記事を
「太陰暦」と「太陽暦」という2つの暦を聞いたことがありますでしょうか?
なんとなくではありますが、昔に旧暦として使われていたのが太陰暦...
和風月名が始まったのは、まだ日本が旧暦を使っていたころです。
この頃は、和風月名の季節と実際の季節は、ぴったりと合致していました。
しかし、明治6年に暦が新暦に改めたられた後も、
和風月名は新暦の月数に合わせて、使われ続けることになったのです。
そのため新暦における和風月名は、少し季節とズレ生じるようになりました。
新暦と旧暦を照らし合わせると、およそ1カ月程度の差が生じるからです。
このように、新暦への変更で少々の不都合が生じてしまった和風月名ですが、
明治政府による修正も無く、結果的に現代になっても新暦で使われています。
「多少の誤差には目をつぶろう」と、明治政府は考えたのかもしれませんね。
今回は、日本独自の月名である和風月名を見てきました。
手紙を書く際などに使ってみると、風情が感じられる文面になるかもしれませんね。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。