五節句とはいつ?意味や由来はどういうもの?


「端午の節句」といえば、毎年5月5日に行われるイベントですよね。
他にも3月3日の「桃の節句」なども有名な節句です。

では、この「節句」は全部で何日あるのでしょうか?

その答えは年間で5日あり、「五節句」と呼ばれています。

では、五節句それぞれの期日はいつで、どのような由来があるのでしょうか?
今回の記事では、五節句の意味や由来などについて見ていきたいと思います。

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節句の始まりとは?


七夕の節句は五節句のひとつ

そもそも五節句の元になっている「節句」には、どのような由来があるのでしょうか?

もともと節句とは、季節の節目を知るための目安となる日のことでした。
そのため当初の節句は5つだけでなく、もっと多くの節句が存在していたのです。

しかし、あまりに節句が乱立したせいか、各地で節句の混同や間違いといった事が起こります。
これではいけないと考えた江戸幕府は、公式な節句の日をつくることを考えました。

そして、江戸幕府が公式の節句として取り決めたのが五節句だったというわけです。
この五節句の日は、邪気を祓う日として、式日(祝日のようなもの)とされました。

つまり、五節句が始まったのは江戸時代だったわけですね。
江戸幕府が公式な式日として定めたことにより、五節句は庶民の文化に深く根付くようになります。

ただ、式日としての五節句は明治時代に廃止されてしまいました。
ですが、現在でも五節句の日は、節目の行事として我々の文化に定着しています。

その五節句の期日は以下の通りです。

五節句


・1月7日 人日(じんじつ)の節句
・3月3日 上巳(じょうし)の節句
・5月5日 端午(たんご)の節句
・7月7月 七夕(しちせき)の節句
・9月9日 重陽(ちょうよう)の節句


節句は人日の節句を除いて、奇数のゾロ目の日に設けられています。
これは古代中国から伝わった習わしで、奇数は縁起の良い陽数であることに由来しています。

逆に1月が1日でないのは、1月1日が既に元旦という特別な日であったからです。
そこで、7種類の薬草を食べて過ごすという7日を、節句の日としました。

節句は旧暦(太陰暦)での行事だった


節句とは本来、季節の節目を知るための目安ということでした。
そして、この季節の節目とは、太陰暦(旧暦)での季節を意味していました。

明治6年に日本政府は太陰暦(旧暦)を廃し、太陽暦(新暦)へと暦を切り替えます。
式日としての五節句がなくなったのも、ちょうどこのタイミングでした。

ただし、年中行事としての五節句が残ったのは、先ほど述べた通りです。
そして現在の節句の期日は、新暦の同じ日に定められています。

そのため、現在の節句は、実際の季節とズレが生じているのが実情です。
新暦の方が1カ月ほど暦が早くなりますから、これは当然のことですね。

例えば「桃の節句」でもある「上巳の節句」は3月3日です。
「桃の節句」というからには、もう少し暖かい季節に行いたいとも思えます。

こうした部分に、新暦移行による季節のズレが現れていると言えます。
そのため、地域によってはこの季節のズレを無くすため、旧暦に合わせて節句の行事を行う所もあるようです。

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五節句それぞれの意味と由来は?


五節句は重要な年中行事として、江戸時代に制定された式日でした。

それでは5つの節句、それぞれの意味や由来はどうなっているのでしょうか?
以下で詳しく見ていきたいと思います。

人日(じんじつ)の節句


1月7日が「人日の節句」・「七草の節句」です。

「人日の節句」は古来の中国の風習に由来しています。

中国では、正月の1日を鶏の日、2日を犬の日、3日を豚の日、4日を羊の日、5日を牛の日、6日を馬の日として、それぞれの日にはその動物を殺さないようにしていました。
そして7日目を人の日としており、この日は犯罪者に対する刑罰を行わない日とされていたのです。

つまり人日の日とは、“人”を大切にする日とされていたわけですね。
それが大切な節目の日とされたことから、節句として制定されました。

そして1月7日は七草粥(ななくさがゆ)を食べる日でもあることから、「七草の節句」ともいわれます。
これは寒い冬に薬効のある草を食べることで、邪気を祓い、病気から守るようにするという意味があります。

上巳(じょうし)の節句


3月3日が「上巳の節句」・「桃の節句」です。

そして「ひな祭り」の日でもありますよね。

「ひな祭り」のルーツを探ると、古来中国の風習に行きつきます。

古来中国では、3月3日は忌日とされ、縁起が悪い日とされていました。
そこで人々は河に入ることで身を清め、邪気を祓っていたようです。

この風習が、平安時代の日本の貴族に伝わります。
そして、貴族たちが河に入って身を清めるといったことが行われるようになりました。

しかしながら、夏でもない季節に河に入るのは、単純に冷たくて我慢ができません。
そこで貴族たちの間では、身代わりの人形を河に流すといった風習へと変わりました。

これは「流し雛」と呼ばれ、自身の穢れを移して流すという意味があったのです。
この「流し雛」は手軽に行えることから、庶民の間にも広まっていきました。

そして時代が進み、室町時代になると、今度は雛人形を飾るという風習へと変わります。
これは「流し雛」として、人の穢れを背負い続けてくれた、雛人形を敬う気持ちによって生まれたと言われています。

こうして現在のような雛人形が誕生したわけです。

そして「流し雛」を飾る風習は、現在の「ひな祭り」へと発展していきます。
「ひな祭り」は、女の子の誕生と健康と幸運を祝う行事として根付いていきました。

なお、「上巳の節句」の名前の由来は、「巳の日」に行われたからとされています。
そして「桃の節句」の名前の由来は、桃の花が咲く季節であったことからです。

端午(たんご)の節句


5月5日が「端午の節句」・「菖蒲の節句」です。

「端午の節句」の名前の由来は、「午の日」に行われたからとされています。
日本では「こどもの日」として、有名な日ですよね。

「端午の節句」には、厄払いとして門に菖蒲を吊るしたり、風呂に入れたりする行事がありました。
そのため「端午の節句」の別名は、「菖蒲の節句」と呼ばれるようになったわけです。

そして江戸時代には、菖蒲という言葉が、「尚武(しょうぶ)」に通じるという事から、立身出世を願う日とされました。
それが次第に、男の子の成長と健康を祝う日として定着していったわけです。

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七夕(しちせき)の節句


7月7日が「七夕の節句」・「笹の節句」です。

七夕の名前の由来は、7月7日の夕方に行事が行われるようになったからと言われています。
日本では「たなばたの日」として、有名な日ですよね。

七夕の節句の由来は、複数の伝説や行事が結びついて生まれたと言われています。

・古来中国の織姫と彦星の伝説
・古来日本の棚機つ女(たなばたつめ)の伝説
・乞巧奠(きっこうでん)という裁縫や習字の上達を願う行事


以上の3つの伝説と行事がそれになります。
これらが次第に融合し、1つの行事(七夕)として定着していったのです。

そして、願い事を書いた短冊を笹竹に吊るし、願いが叶うように祈るという現代の形に落ち着きました。

重陽(ちょうよう)の節句


9月9日が「重陽の節句」・「菊の節句」です。

重陽という名前には、あまり聞き覚えがないかもしれません。
これは、古来中国の陰陽説から来ていると言われています。

古来中国では陽数(奇数)は縁起が良いとされ、陰数(偶数)は縁起が良くないとされていました。

そして(1桁の)数の中で最も大きな数は9になります。
また9は、縁起の良い陽数でもあります。

つまり9月9日は、9の陽数が重なる日だから重陽という名前になったのです。
さらに9は大きな数であることから、9月9日は非常に縁起の良い日ともされました。

古来中国では、そんな縁起の良い日である9月9日に菊酒を飲んでお祝いをしました。
菊には長寿の効能があるとされていましたので、不老長寿を願ったとされています。

そして、この9月9日の季節は、ちょうど菊の花の咲く時期でもあったわけです。
これが「重陽の節句」の別名が「菊の節句」となった由来でもあります。

「菊の節句」は、日本には平安時代に伝わりました。
そして貴族たちの宮中行事として「菊花宴」が催されるようになります。

それが時代を経るにつれて、菊を鑑賞する日へと変わっていったといわれています。

また、この時期に田畑の収穫が行われていた庶民の間では、「重陽の節句」は秋の収穫を盛大に祝う日として定着します。
現代でも、「重陽の節句」に栗ご飯を食べるのは、この収穫を祝った行事の名残と言われています。


以上の5つが五節句となります。
もともとは中国の穢れや祓いから来たものが、日本に伝わり年月を重ねて、お祝い事として定着していった例が多いですね。

次回の節句の日には、節句の由来に思いを巡らせてみるのもいいかもしれませんね。
今回の記事では、五節句の意味や由来について見てきました。


今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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